苦労しない生き方をしよう!正しい修行と間違った苦行

キリコは人からムダに苦労してるね。とよく言われるほうですし、苦労が必ずしも悪いものだとは思っていません。
一見不要なところから、新しいアイデアが湧いたりするのも事実です。
でもこの価値観を持ち続けたり、この価値観をもった人と行動を共にすると、間違った方向に進む可能性が高くなります。

苦労を称賛する人は、実は苦労した人を称賛していない矛盾

年配の方やブラック企業の経営者に多いのですが、やたら苦労を求め、苦労を称賛する人たちがいます。

でもこの考え方には矛盾があります。彼らは先人が頑張って築いたテクノロジーを無視しがちなのです。

たとえば、メールで送るほうが便利で、コストが安くすむのに、FAXで送る。手紙を書く、電話をかける。などです。

先人が苦労して作ったメールというシステムを無視して、古いテクノロジーを使う。それを指摘すると「そんな楽をしたらダメだ。汗をかかないと」と怒り出す。

これってただ単純に、テクノロジーについていけていないのを、隠すために言っているんです。

本当に苦労を称賛するのであれば、メールを開発した先人の苦労に感謝をし、徹底的に使うのが正しいのではないかと思うんですね。

「はさみの再発明はしない」が技術を進化させている

「はさみの再発明はしない」という言葉を聞いたことがありますか?
SEやプログラマーのかたには、よく知られた言葉ですが、意味は
すでに誰かが開発したものは、作らないという意味です。

これは誰かが開発したものを作るのは、単純にムダだし、開発しても特許も取れないし、という事情からでてきた言葉です。

優秀なプログラマーはソースコードを書く前に、徹底的に、いままで自分が作ったコードで再利用できるものはないか探したり、他の人が作ったコードを再利用できないかを調査します。

一方あんまりなプログラマーは、毎回新しいソースコードを書こうとします。

どちらも同じ時間を使いますが、品質は圧倒的に優秀なプログラマーが高いです。

いまはプログラミングの世界も工業の世界も、部品を組み合わせて作る(モジュール化)という考え方が進んでずいぶん効率化されていますが、一般の会社などでは、まだまだ苦労は美徳で、はさみをなんども発明するような行動が推奨されていたりします。

はさみの再発明は能力を低下させる

たとえばキリコは、復縁の情報サイトを運営していて、みなさんの質問に答えたりしています。その質問のなかには、とうぜん似たような質問も数多くあります。

同じ質問に毎回答えていては、時間がかかりすぎるので、質問に回答したページを作ります。同じ質問があれば、そのページを見てと答えます。するとその方の問題が一瞬で解決します。

ではキリコが毎回同じような質問に答えていたらどうでしょうか?疲れ果てて、いま積極的に執筆や調査をしていますが、こういう仕事ができなくなってしまいます。

みなさんの会社の仕事でもないですか?もしテンプレや資料があれば、一瞬で解決する仕事を、毎回するってこと。

これは私たちの能力を低下させます。でもなぜか同じことを繰り返す。これも苦労を称賛しているからだと思うんです。

お釈迦さまは、修行は勧めたが、苦行は否定している

修行は『行をおさめる』と書きますが、苦行は『苦しい行い』と書きます。
修行と苦行は大きく違うのに、苦行を修行だと思っている人が多いです。

仏教の祖 お釈迦さまは、さまざまな苦行を6年間続けましたが、悟りを開くことはできませんでした。
その結果『極端な苦行はかえって精神や肉体を駄目にして真理から遠ざかるのではないか』という境地に行きつき、苦行をやめました。

その後お釈迦さまは、沐浴しているときに、倒れてしまいます。それに気がついたスジャータという少女がお釈迦さまを助け、乳清(乳がゆという説も)を飲ませたところ、元気になったとされます。

ちなみに乳清というのは、ヨーグルトの上澄みの透明の液体のこと、ホエイプロテインは、乳清のたんぱく質成分です。

その後菩提樹の下で8日間瞑想して悟りを開いたそうです。

現代風に言うと、お釈迦さまは、苦行を6年やり通して、ぶっ倒れ、そのあとホエイプロテインを飲んで、元気を回復し、8日間瞑想して悟ったということ。

6年間の苦労があったから、悟りを開いたのかもしれませんが、私たちとしては、お釈迦さまが苦労して、得た結論『極端な苦行はかえって精神や肉体を駄目にして真理から遠ざかるのではないか』
ということを大切にしなければいけないのではないでしょうか。

ちなみにキリコは疲れたときには、よくホエイプロテインを飲みますが、このエピソードを思い出して飲んでいます。

苦労しないといけないという呪いが日本人に蓋をしている

この苦労しないといけないというのは、日本人特有の感覚のようで、欧米などでは、できる限り合理化して楽をするのが常識です。

このことが企業の生産性に大きく影響しているのかどうかはわかりませんが、なんと日本の生産性は主要先進7カ国でみると、データが取得可能な1970年以降、最下位の状況が続いています。

この『苦労しないといけないという感覚』がいつの時代から始まったのかはわかりませんが、日本人をしばる呪いのようになっているような気がしてなりません。

呪術の知識が豊富だった陰陽道では、言葉などで相手を縛るのことを『呪』と呼んでいるそうです。

あるとき「苦労しないといけない」と言い出したものがいて、その『呪』が全国に広がり、私たち日本人をしばり、苦しめているとしたら?

あなたはどう思いますか。ほっておいたもいいのでしょうか。

キリコは今すぐにでも解かなければいけないのではないかと思いました。

では『呪』はどうしたら、解けるか?これも陰陽道なのでも言われていますが、『呪』の正体を見破ること、そしてその相手に正体がばれたと伝えること。

カンタンにいうと、いまこのページを読んだあなたは、もう『呪』から解放されているのです。

理屈がわかれば、恐れる必要も、縛られる必要もない。ただあまりにも縛りが強いばあい、なんども読む必要はあるかもしれません。

でも少なくとも、以前のような縛りをうけることはなくなったはずです。

引き寄せの法則も効きだすかもしれない

引き寄せの法則が効果がでないのは、現状維持バイアスが働いているからだとかんがえられます。
この現状維持バイアスというのは、いまの現状を維持したいという潜在意識の反応で、これを変化させない限り、引き寄せることは困難です。

もし苦労が美徳と考えている人が、楽してリッチなイメージを持ったらどうでしょうか。
おそらく心の底でリアルには感じられないはずです。

でも今、苦労が美徳というのは、おかしいのではないかと感じたあなたはどうですか?

まとめ

今回の執筆で長年考えていたことが実を結びました。

くりかえし(俱利伽羅)になりますが、キリコは人からムダに苦労してるね。とよく言われるほうですし、苦労が必ずしも悪いものだとは思っていません。

一見不要なところから、新しいアイデアが湧いたりするのも事実です。

でもこの価値観を持ち続けたり、この価値観をもった人と行動を共にすると、間違った方向に進む可能性が高くなります。

方向音痴でも地図アプリがあれば問題はなくなります。

苦い薬が苦手でもカプセルがあれば苦くないです。

苦手な野菜も調理法を変えれば食べられたりします。

友達がいなくても、twitterで相談に乗ってくれる人もいます。

復縁のことがわからなければキリコがいます。

苦行はする必要はないです。自分が修(おさめる)必要があることだけ、行ったらいいのです。

PS:どうでもいいことですが、繰り返しとタイプしたつもりが、チェックすると、うち間違いで、俱利伽羅となっていました。

なにこれと調べてみると俱利伽羅は、不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る智恵の利剣だそうです。

三毒(三不善根)は悪の根源ということで、まさに今の状況を象徴していると思いませんか。

この奇妙な類似性にキリコは、ちょっと寒気がしました。『三毒を破る智恵の利剣』きっとそういうことなんでしょう。

なんかどえらいものを知識から切り出したのかもしれません。